熊病の歴史 一日亭 | くまびょうニュース | 国立病院機構 熊本医療センター

熊病の歴史 一日亭

【207号(2014.9)】

 江戸時代、現在の附属看護学校があるところは、細川藩の家老松井家の下屋敷があったところです。当時、その場所は回りより一段高くなっているため、北西方向から南東に至るまで眺望が開け、たいそう眺めのいいところでした。そこで、松井家の別邸としてその眺めを楽しむ瀟洒な2階建の家屋が作られました。この建物は一日亭(いちじつてい)と呼ばれ、まわりには松を配した立派な庭作りがなされていました。今の院内のローソンの傍にある灯籠などもこの庭にあったと思われます(一日亭につきましては、その写真と絵図が残っていますので、実際に確認することができます。灯籠なども絵図中に描かれています)。この建物の豪華さは世に聞こえていたらしく、熊本城が軍用地になり明治4年に一日亭が撤去された後も数奇な運命をたどりました。明治4年(1871)の廃藩置県後、一日亭は、長崎生まれの緑屋栄造という人が、これを買い受けて京町本丁(新堀町)に移し、翁屋(おきなや)という名前の料理屋を営みました。その後、三浦栄次という人(緑屋栄造と同一人物?)が、坪井立町に移し、一日亭と昔の名前をつけ多くの芸子を抱えて遊郭を営業しました。しかし、残念ながら、明治10年の西南戦争で焼失しました。
 一日亭は、戦後、すぐにまた同地で新築され営業を再開しましたが、明治13年遊郭が二本木に移された時に、一日亭も二本木に移りました。一日亭は、有名な遊郭、東雲楼(しののめろう)と比較されるほど大きく、明治42年刊行の“熊本の遊びどころ”には「熊本の地、旗亭多けれども、最も古くして、最も大なるものは、二本木遊郭内の一日亭本店と為す。」と記されています。
 三浦栄次の後を継いだ、養女で女将の三浦ジンは男勝りで侠気があり、当時有名な女将でした。彼女は、支那革命に奔走した宮崎滔天を密かにかくまったり、滔天からの借金の依頼にお金を送ったりしています。
 三浦ジン(1877~1948)は伊予松山、堀江(今の松山市)の忽那家に生まれました。10歳の時、親類である熊本の三浦家養女となり、一日亭の娘として育ち、一生を独身で過ごしました。この三浦ジンをモデルに、二本木を舞台にした映画が、五社英夫監督、樋口可南子主演の「陽炎」です。熊本大学医学部解剖学教授で、熊杏会の会長も務められた故忽那将愛氏は、三浦ジンの甥にあたります。なお、一日亭はジンの死後取り壊されました。ジンは、二本木、常通寺の三浦家の墓に眠っています。
 (以上の内容は、参考文献によりましたが、いずれも正確な検証はなされておりませんので一部不正確な記述もあるかもしれません。ご容赦ください。)

参考文献:
 1)井上智重 ; 滔天が頼った「一日亭」の女傑 三浦じん 異風者伝 熊本日日新聞社 2012 P234-238
 2)富田紘一:「熊本城の歴史と探訪」第28回 二の丸(9)古城・桜馬場(1)熊本城 復刊第90号 2013 P4-5

【院長 河野 文夫】



一日亭春秋真景図屏風(秋景)-松井文庫蔵-